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新潟地方裁判所長岡支部 昭和49年(わ)163号 判決 1975年10月14日

被告人 尾立俊彦

昭二〇・八・一生 鳶職

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は次のとおりである。

「被告人は、昭和四九年一一月九日午後七時ころから長岡市宮内三丁目五番二六号きのや旅館階下八畳間で土工仲間の池本一夫(三六歳)他一名と飲酒中、言葉遣いのことから口論になり池本から短刀の柄で顔面頭部を殴られ負傷したが同僚の松下博が仲裁に入りその場は一旦おさまり、被告人は飲みに行くと言つて同室を出たのであるが池本の仕打ちに対し憤懣やるかたなく同人がなおも被告人に喧嘩を挑むようであれば同人に危害を加えようと決意し、同日午後九時五五分ころ、同旅館勝手場流台から刃渡り二五・五センチメートルの刺身庖丁を取り出して隠し持ち玄関に至つた際、前記池本が同所にきて『尾立の餓鬼』などと悪態をついたことに激昂し素手で無警戒の同人に対し矢庭に前記刺身庖丁をもつて斬りかかり胸部を突き刺すなどの暴行を加え、よつて、同人に対し、約一ヵ月の加療を要する右胸壁胸腔に達する刺創、右手切創の傷害を負わせたものである。」

二、証人松下博に対する当裁判所の尋問調書、証人平沢保吉および被告人の当公判廷における供述調書、池本一夫(二通)および被告人(同)の検察官に対する各供述調書、金子康の司法警察員に対する供述調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書および「殺人未遂被疑事件現場到着時の状況写真撮影について」と題する書面、医師小原正躬作成の診断書、検察事務官作成の電話通信書、押収してある柳刃庖丁(昭和四九年押第二九号の1)、白鞘入短刀(同号の2)、ジヤンパー(同号の3)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告人は、前川工業株式会社の下請である金子組所属の作業員として北陸高速自動車道建設工事に従事し、宿舎に当てられた長岡市宮内三丁目五番二六号きのや旅館の階下八畳間に、同僚の松下博、池本一夫と同宿していたものであるが、昭和四九年一一月九日作業を終えて帰宿し、夕食時、右部屋において右両名と共に日本酒を冷やで約二・一六リツトル(一升二合)を飲み合い、引き続き三名で雑談を交わしていたところ、同日午後九時四〇分すぎころ、池本が今やつている仕事がきつい旨ぐちめいたことを言い、これに対し、松下が一、二発言したことをめぐり、池本が松下から「仕事がきついなら(郷里へ)帰れ」と言われたとして怒り出した。松下がそのような発言はしていないと弁明したが、池本はこれに耳をかさず口論の末意地を張つて自分の荷物をスーツケースに仕舞い込むなど帰り仕度を始め、室内が急に険悪な雰囲気に包まれた。そうした中で、池本が被告人に向い、右の発言の有無に関し、「お前も聞いていただろう、証人になれ」と要求した。被告人が一方の肩を持つ結果になることを避けようとして明確な返答をしないでいると、池本は被告人のその態度に腹を立て、「お前ら二人はグルだろう」と怒鳴りつけ、やにわにスーツケースから白鞘入短刀(鞘を含め全長三五センチメートル)を取り出すや、鞘付きのまま坐っていた被告人の頭部を殴打し、驚いて被告人が立ち上ると、「ぶち切ってやる」とか「たたつ切る」とわめき出した。松下は池本の右剣幕を見て自分が池本に謝る態度に出る以外方法がないと考え、被告人と池本の間に割つて入り、「尾立(被告人)が悪いのじやない、叩くなら俺を叩け」というなりその場に坐り込み畳に頭をすりつけるようにしてなだめにかかつたが、池本は気を柔げるどころか却つて右短刀の柄の部分で被告人の右額眉付近を殴り同所が切れて出血した。被告人は池本の酒癖の悪さを知つていたので逆らわず、「飲みに行つてくる」と言い置いて上衣(ジヤンパー)をはおり部屋を出た。池本はなおもわめき散らしていたが、松下からなだめられまた被告人も居なくなつたことから間もなく一旦は気を静めるに至つた。

(二)  被告人は退室後玄関へ向け廊下を歩くうち、室内からなおも池本の「ぶち切つてやる」等の怒声がきこえてくるので、池本に追いかけられ背後から前記の短刀で切りつけられかねないと急に不安になり、途中同旅館調理場に立ち寄り流台脇から護身用に刺身庖丁一丁(刃渡り二五・五センチメートル)を引き抜いて所持した。

玄関に至つた被告人は、偶々同所が消灯されていて暗かつたので、ガラス戸越しに外から差し込む明りを頼りに、土間に脱ぎ置いた自分の雪駄をかがんで捜していたところ、同日午後九時五五分ころ、突然背後から、「尾立の餓鬼、云々」と罵声を浴せかけられたので池本がやつて来たことを察知し、ふり返ると池本が被告人の方へ近付いて来るので咄嗟に先程池本が前記の部屋で振り廻していた短刀で自分に斬り掛つてくるものと怖れる余り、手元に置いてあつた前記庖丁を右手に握りしめ、池本を追い払おうとして一、二歩同人に近づくや左右に二回振り払つた。これが池本の手付近に当つた感じがしたので怪我をさせたと思い、被告人が後へ下り逃げ出す隙を窺つたところ、池本が飛びかかるようにして被告人の右肩付近をつかまえにきた。被告人は庖丁を取り上げられては一層危険になると怖れ必死にこれを取られまいと抵抗し、池本と玄関内の板敷および土間でもみ合ううち、池本が板敷上へ倒れ、被告人も組合つたまま倒れた。そのころ、物音を聞いて松下が玄関へ駆け付け、背後から被告人の脇腹あたりをつかんで両名を引き離し、被告人から前記庖丁を取り上げた。池本は、被告人との間での右一連の行為の過程で公訴事実記載の傷害を負つたものである。

三、次に、池本の受傷の部位、程度につき検討を加えるに、医師李奎鉉作成の診断書、検察官作成の電話通信書、李奎鉉の司法警察員に対する供述調書、池本一夫の検察官に対する昭和四九年一一月一八日供述調書によれば、池本の受けた傷は、<1>右手首に骨まで達する三センチメートルの切創、<2>右手甲部に二センチメートルの切創、および、<3>右胸部(右乳のやや左下)中心寄りに水平に約一〇センチの刺切創(右診断書等には「刺創」とあるが、右傷害をもたらした凶器は前記の刺身庖丁であり、その最大刃幅が二・九ミリメートルにすぎなく先端付近はさらに細いのであるから正確には「刺切創」であると思われる)の三個であり、そのうち<3>の傷の深さは胸壁をこえ肺に達してはいるが肺の縫合を要しない程度のものであつたことが認められる。そこで前記認定の、被告人の行為と右傷害とを対応させると、右の<1><2>の傷は被告人が池本に一、二歩近づき左右に二回庖丁を振り払つたときに、また<3>の傷は池本が被告人の右肩付近をつかまえにきてから被告人ともみ合う過程において、それぞれ生じたものと推認される。司法警察員作成の実況見分調書によれば、玄関の東南隅下駄箱西側仕切り壁の床上一・一メートルの位置に相当量の飛沫状の血痕が附着しやや斜め下へ流落していることが認められるが、これは池本の右胸部に凶器が刺入した瞬間に右<3>の傷口から噴出した血液の跡と推認されるところ、右は被告人が池本の方へ一、二歩接近した時の位置関係においては殆んど生じえないものである。

ところで、前記認定のように、池本は被告人の右肩あたりをつかみかかつた後被告人ともみ合つているのであるが、血液はむしろ被告人の左側へ飛散していること、創口が一〇センチに及ぶ刺切創であること、傷がそれ程深くないこと(池本は格別の手術を要することなく一〇日目に退院している――同人の検察官に対する昭和四九年一一月一八日付供述調書)、凶器となつた前記刺身庖丁の形状とを総合判断すると、右凶器は池本の胸部へ斜にかつ比較的軽度の力を伴つて刺入されたとみるのが自然であり、そうすると右<3>の創傷は被告人が刺す意図のもとに加えられて出来たものとは認め難いといわなければならない。

尤も、金子康、高野佐一郎の司法警察員に対する各供述調書中には、被告人が玄関で松下に刺身庖丁を取り上げられた後、きのや旅館から一〇〇メートル程離れた鈴金旅館へ赴き、同旅館に宿泊中の雇主金子康に対し、「あんまり池本にいじめられたので、今池本をやつてきた」「池本を刺してきた」と述べ、さらに、タクシーで新潟方面へ逃走するに際し、タクシー運転手高野佐一郎に対し、「今人を刺し殺してきた」と述べた旨の記載があり、被告人は当公判廷で右金子康に対する発言は概ね肯定しているので疑問がない訳ではない。しかしながら、右は池本が多量の出血をし自分も上衣等に返り血を浴びていることに気付き、きのや旅館の玄関を去る際にも池本の苦悶ぶりを見ていることから大へんなことをしでかしたという罪償感に悩まされ興奮状態のもとで発した発言であつて、被告人の池本に対する意図的な攻撃行為を推定するには足らないものと思われる。

四、被告人はきのや旅館の玄関において、池本が「尾立の餓鬼、云々」の罵声を発しながら近づいて来るのを見て、池本が被告人らの居室で振り廻していた白鞘入短刀で斬りかかつてくるものと思い前記二の(二)で認定した行為にでているのであるが、池本が右短刀を部屋に置き素手で玄関へ来たものであることは証人松下博の当裁判所の尋問調書、上野義明の司法警察員に対する供述調書、池本一夫の検察官および司法警察員に対する各供述調書等により明らかであり、被告人は右の点につき錯誤に陥つていたものである。

そこで被告人の右錯誤が相当な理由があつて生じたものであるか否かを検討する。

(一)  松下博に対する当裁判所の尋問調書によれば、池本は、被告人が部屋を出た後一旦は気を静め、二、三分後に何らかの用件を足すべく廊下に出たのであるが、直ぐ部屋へ引き返して来るや、ズボンをはきシヤツを脱ぎ捨て上半身裸のまま「待て」といい被告人を追うような気配で急いで出て行き、数秒後に玄関方向から悲鳴のような人の争う物音がきこえたので松下は玄関へ走つて行つた、というのであるから、前後の状況と合わせ考えると、その時池本は被告人を追つて行つたものであり、それも被告人と仲直りし一緒に旅館外で友好的に飲酒しようという目的ではなく、被告人への腹立たしい感情を呼びさまされて突発的に右のような行動に出たものであろう。とはいえ、池本が玄関で直ぐさま被告人に対し再び殴打暴行しようとしていたものとまでは認め難い。

しかるに、被告人は池本に短刀で切りつけられるものとの認識で所携の庖丁を振りまわしているのであるが、こうした行為にかりたてた事情の一つに玄関内が消灯されていて暗かったことがあげられる。尤もこの点に関し証人平沢保吉の当公判廷における供述中に、「きのや旅館では通常一一時半か一二時ころまで玄関の照明はつけておく」「その夜居間でテレビを見ていると『わつ』という声がし、廊下へ出て玄関の方をみるとそこは明るく、何が起つたのかすぐ判つた」旨の供述があるが、右証言によればその翌日は平沢保吉と平沢キノの結婚式が予定され、当夜右結婚式に出席する親戚知人等が同旅館に泊つていたという特別の日であつて、新しい宿泊客を得て積極的に営業活動をしようという日ではなかつたことが認められるし、また右証言を全体的に検討すると、平沢保吉が廊下へ出た時点は松下が駆け付けて池本を介抱している最中であり、被告人は既に玄関から外へ立ち去つた後であることが明らかであつて、被告人が庖丁を振りまわした時点から若干の時間的経過があつたことが認められるので右証言は前記認定と矛盾するものではない。

そして、被告人の司法警察員に対する供述調書(二通)、被告人の当公判廷での供述、証人松下博に対する当裁判所の尋問調書によれば、被告人は身長一五六センチメートル、体重は約四三キログラムと小柄非力であるのに対し、池本は身長において六、七センチメートル、体重において二〇キログラム以上被告人より優れ体格的に見て被告人は池本とまともには太刀打ちできないこと、池本は酒癖が悪く噂では酒をのむと刃物をふるうこともあり、被告人自身池本にかつてビール瓶で頭を殴打されたことがあることが認められる。

(二)  前記二で認定したとうり、池本が松下の発言をとらえて酒癖悪く荒れ始めたのが午後九時四〇分すぎであるから、被告人が池本と玄関でもみ合つて負傷させた午後九時五五分ころという時間は、被告人が池本に殴打されて部屋を出てから数分後の出来事である。しかも、被告人が部屋を出た直後も「ぶち切つてやる」等穏やかでない怒声をはいているのを背後に聞いている被告人は、その後部屋で池本が一時気を静めたことは知らないのであつて、消灯されて暗い玄関内で、「尾立の餓鬼」などと敵意をあらわにする言葉を浴びせられた時、体力的に相当程度劣り、以前、ビール瓶で額を殴られるという激しい暴行を受けた経験のある被告人が狼狽し冷静的確な判断力を欠いたであろうことは想像に難くない。以上要するに、被告人が前記のような誤信に陥つたのは本件時における具体的状況下においては必然的で止むを得なかつたものというべく格別の過失があつたとは認められない。

五、被告人が前記のごとき錯誤に陥つた結果とつた行動についてみるに、被告人が池本に向い積極的になしたのは庖丁を左右に二回振り払つたことがその殆んどである。その後は後へ下がり逃げる機を窺つていたものであつて、それにも拘らず結局池本と庖丁を持つたままもみ合うはめになつたのは、池本が被告人の予期せぬ抵抗に会い酔つた勢いにかられて半ば逆上し、被告人が刃物を所持していることを充分に認識しえぬまま力づくで押えにかかつたのが契機となつたものである可能性が強い。(池本自身当夜日本酒を茶碗で六、七杯飲み酔余のあげくの行動であつたことや、前記受傷の衝激等のためか、被告人と何故もみ合うことになつたかにつき明確な記憶がない。――池本一夫の検察官に対する昭和四九年一一月二〇日付供述調書)池本は床に倒れてから、介抱に当つていた松下に「(被告人が)刃物を持つていたとは知らなかった」旨もらしている(松下博に対する当裁判所の尋問調書)こと、池本が右胸部に刺切創を受けた際の位置が玄関東南隅下駄箱西側仕切り壁近くまで接近している(司法警察員作成の実況見分調書)こと等の事実は右の推認と合致する。被告人は当公判廷において、池本が自分の所持していた庖丁を取り上げようとしたので取られまいとして同人ともみ合いになつた旨述べているが、右は池本が右胸部に受傷し被告人の所持する庖丁に気付いた後のことと認められる。そして、池本の右胸部の刺切創が被告人の積極的に刺そうという意図のもとに加えられたものでないことは既に認定したとうりである。

そうすると、被告人の右行為は、全体的に考察すると、前記のごとき錯覚に陥つていた被告人が、池本に対し自分も刃物を所持していることを知らしめ同人をひるませ追い払うことにより自己の生命身体を防衛しようとしてなしたものにすぎなく、錯覚していた危険内容と対比する限りでは格別過剰な対応とはいいえないと解せられる。

六、してみると、被告人の本件行為は、被害者池本一夫が暗がりの旅館玄関内で、被告人に対し、罵声を浴びせて近づいてきたのを、同人の酒癖の悪い性格と、その直前における前記のような言動と合わせ考え、短刀をもつて切りつけてくるものと錯覚し、自己の生命身体への危険を防ぐためやむなく自らも刃物を振り廻したりこれを取られまいとしてもみ合い、公訴事実どうりの傷害を右池本に負わせたものであつて、急迫不正の侵害がないのにこれがあるものと誤信して防衛意思のもとにした行為というべく、いわゆる誤想防衛行為と解すべきであり、またその誤想につき被告人の責に帰すべき過失は認められないから、結局犯罪は成立しないものといわざるを得ない。よつて、被告人に対しては刑事訴訟法三三六条に従い無罪の言い渡しをする。

(裁判官 田中宏)

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